作家解説

パオラ・マリーノ

カルラ・アッカルディ Carla Accardi
(トラーパニ 1924-ローマ 2014)

戦後の記号-色彩絵画の先駆者。カンヴァスや透明な支持体に、自律的な関係と生き生きしたリズムを描出し、空間を特徴づける。1947年以来、ローマにおけるフォルマ1の主人公のひとり(同グループにはウーゴ・アッタルディ、ピエトロ・コンサーグラ、ピエロ・ドラーツィオ、ジョヴァンニ・グエッリーニ、アキッレ・ペリッリ、アントニオ・サンフィリッポ、ジュリオ・トゥルカートがいた)。イタリアのフェミニスト運動史を代表する存在でもある。出展の《赤いゲーム》(2007年)は、成熟期の典型的な作例。

アフロ Afro
(ウーディネ 1912-チューリヒ 1976)

アフロ(アフロ・バザルデッラ)は、戦後ローマの抽象-具体絵画の、きわめて洗練された解釈者のひとりとして国際的に注目された画家。ネオキュビスムの絵画でローマ派としてデビューした後、1952年、批評家リオネッロ・ヴェントゥーリによって提唱されたイタリアの「グループ8」の創設に、ビロッリ、トゥルカート、サントマーゾ、ヴェドヴァらとともに参加。《アレーナ74》(1974年)は、形、色、空間の間の調和の新しい関係を探求する重要な作例である。

ジェトゥリオ・アルヴィアーニ Getulio Alviani
(ウーディネ1939-ミラノ2018)

オプ・アート、キネティック・アート、アルテ・プログラマータの探究によって、1960年代から絵画は技術・科学両面で更新されたが、これをイタリアにおいて推し進めた初期のアーティストのひとり。単独で、あるいはさまざまなヨーロッパのグループとともに活動した。積層面に幾何学的なテクスチャーをつくり、光の振動を獲得。鑑賞者の知覚を巻き込みながら環境全体を刷新していく作品があるが、本展中の1965年のアルミニウム作品もその特徴をよく示している。

マッテオ・バジレ Matteo Basilé
(ローマ 1974-)

1990年代からコンピューターアートとデジタル写真を手がけ、伝統的な絵画の効果、色、形を更新するローマのアーティスト。ニューメディアの実験も重ね、極東の人々の肖像や、バロックやフランドル絵画の引用にもとづくスペクタクルなシーンなどを制作。伝統と革新を調停する試みは、本展中のアルミニウムにデジタルプリントされた作品の、心臓のかたちを手にした人物像(2000年)にも認められる。

ヴァネッサ・ビークロフト Vanessa Beecroft
(ジェノヴァ 1969-)

ビークロフトは1990年代から、大衆社会やステレオタイプ化したファッションとメディアの世界における女性身体の、さまざまなヴィジョンを呈示してきた。世界的な名声を博した様式化された集団パフォーマンスからは、そのシーンを捉えた大型写真作品も生みだされた。絵画やドローイングでは、自由な、しかし緊張感のある表現で、孤立した人物像が表される。本展中の油彩とワックスクレヨンによる初期作品《無題》(1996年)もその例である。

エレナ・ベッラントーニ Elena Bellantoni
(ローマ 1975-)

身体と、生命・自然・記憶の空間との関係をめぐる現代的実践を軸に、パフォーマンスを展開するローマのアーティスト。パフォーマンスはまたヴィデオや写真に翻訳されて、自律的な意味をもつ作品となる。現実の行動も、ヴィデオ《狐と狼:権力闘争》(2014年)の場合のように、社会関係についてのシュルレアルな考究に変換される。同作はタンゴのリズムの仮面舞踊で、パラッツォ・デッラ・ファルネジーナ内で撮影された。これもひとつの挑戦である。

ドメニコ・ビアンキ Domenico Bianchi
(アナーニ 1955-)

新しい「ローマ派」(1980年代から旧パスタ工場に集合アトリエを構えた若いアーティストのグループ)を代表するアーティスト。循環する音楽的リズムによって構成された抽象的でミニマルな記号絵画をうみだす。その記号は、木材、金属、ガラス、ワックスなど、さまざまな素材の表面に描かれ、刻まれ、あるいはグラフィティされて、透明性を探求する。《無題》(2022年)の場合も、ワックスの丸板がグラスファイバーの支持体の上で踊るように構成されている。

ウンベルト・ボッチョーニ Umberto Boccioni
(レッジョ・カラブリア 1882-ヴェローナ 1916)

イタリア未来主義を最も代表する芸術家。未来主義は1909年にフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティによって創出された前衛運動で、近代生活と機械化された文明の表現としての芸術という、新しい概念を世界中に広めた。ボッチョーニはその理念を、絵画や彫刻において、物体・身体の相互浸透と異なる時間・空間の同時的呈示をもって表現した。展示作品は彼の傑作《空間における連続性の唯一の形態》の貴重なブロンズヴァージョンのひとつ (オリジナルの石膏像は1913年)。

アリギエロ・ボエッティ Alighiero Boetti
(トリノ 1940-ローマ 1994)

世界中で愛されるイタリアのオリジナルな進路を生んだアーティスト。1970年代からアルテ・ポーヴェラのなかで、コンセプチュアル・アートとポップ・カルチャーの日常性を、想像力とアイロニーをもって混合。言葉のパズル、一見幼稚な形象、オブジェ、名前のレパートリー、そして世界地図を作りだした。用いたのはボールペンのような簡単な道具や、タペストリーや刺繍などの工芸的実践で、制作はしばしばアフガニスタンの織り手をはじめ、他者に委ねられた。本展では4つのシーンの「視える人たち」(1988年)を展観。

アゴスティーノ・ボナルーミ Agostino Bonalumi
(ヴィメルカーテ 1935-デジオ 2013)

アンフォルメル(フォンターナからマンゾーニまで)後のミラノの革新的な雰囲気のなかで、1960年代から、単色あるいは真っ白に塗られたカンヴァスの裏に木や金属の補助材を組み入れて、ヴォリュームの突き出る作品を生みだした。その後、レリーフには影の揺らぎや入射光が導かれ、造形的に幻覚の効果が与えられた。展示作品《白のシェイプド・カンヴァス》(1972年)が示すように、層状のカットのある「具体」絵画である。

ダニーロ・ブッキ Danilo Bucchi
(ローマ 1978-)

ローマのアーティスト。流動感のある黒または青のエナメルの線条で、空想をかきたてる絵画を構成する。もたらされるのは、人間に似た像や「人形」の現れる神秘的なシーン、あるいは不可能な星界や分子世界を思わせて連なる網の目である。ヨーロッパの歴史的抽象主義の例を参照しつつも、孤独のなかで完成する絵画の経験。出展作、2009年の《無題》はその典型である。

アルベルト・ブッリ Alberto Burri
(チッタ・ディ・カステッロ 1915-1995)

イタリアにおけるアンフォルメルの先駆。世界的に称賛されるこのウンブリアの巨匠は、戦後、一連の質素な素材に介入し、モニュメンタルなまでに劇的で厳粛な作品として、それらに生命を与えた。破れてパッチを当てたジュート袋、焼けたプラスチックシートや木、引き裂かれたシート、そして亀裂の入った土の表面。この表面の物質的な経験は、本展中の1971年の2点の銅版画(エッチング)、《亀裂》に認められる。

ロリス・チェッキーニ Loris Cecchini
(ミラノ 1969-)

2000年代のネオ・シュルレアリスム的な傾向のなかで構成された「非彫刻」で知られる。非彫刻はウレタンゴム製のオブジェクトと、現実の状況を喚起しつつ、収縮・膨張し「呼吸する」「柔らかい」環境全体からなる。後に金属モジュールを用いたインスタレーションを実現。現実の生活・労働空間をシミュレートしつつも、視覚的な錯覚や不合理な事態を引き入れる。そのことはラムダ印刷とシリコン、プレキシガラスからなる大型の写真パネル、2001年の《ズーオフィス(ムフロン)》にもよく示されている。そこでは荒れ果てたオフィスのなかにムフロンが押し入っている。

マリオ・チェーロリ Mario Ceroli
(カステル・フレンターノ 1938-)

1950年代末からアメリカのポップ・アートと、イタリアの美術・工芸の偉大な伝統を見事に組み合わせた作品を制作。材木に人物の輪郭を切り抜いて社会生活と政治史のシーンを表す。また、ルネサンスから形而上絵画までの状況を呼び起こす環境全体を再構築する。チェーロリはこの総合彫刻の経験を劇場の舞台美術へと、また、モニュメンタルな公共芸術へと拡張した。1965年の《真実の口》では、名高いローマ彫刻が、焼けた木製の形而上学的なパネルに引用されている。

サンドロ・キーア Sandro Chia
(フィレンツェ 1946-)

アキッレ・ボニート・オリーヴァによって1978年に理論化された運動、トランスアヴァングァルディアを代表するアーティスト。トランスアヴァングァルディアは絵画という手技の価値と、引用と混交を原理とする美術史との関係を回復した。キーアは20年間ニューヨークで暮らし、古代と近代の巨匠から得たてがかりを練り直すスタイルで、慎ましい人物や神話の英雄がひしめく幻想的なシーンの絵画や彫刻を制作。同じ特徴が展示される1990年代の2点のモザイクにもよく表れている。

サラ・チラチ Sara Ciracì
(グロッタリエ 1972-)

プーリア州出身のアーティスト。2000年代初頭からミラノで、SF的でコンセプチュアルなヴィデオアート、マルセル・デュシャンの《大ガラス》を彷彿とさせる平野への地球外生命体の着陸や、逆に、地上のモニュメントが宇宙を飛行する様子をシミュレートする作品で知られるようになった。その後、ハイテクとレーザー光が故郷の自然、文化、モニュメントと対話するような環境インスタレーションを展開。神秘的で不穏な雰囲気の漂うヴィデオ《天界で麦打ちする人》(2001年)は初期の傑作である。

フランチェスコ・クレメンテ Francesco Clemente
(ナポリ 1952-)

イタリアのトランスアヴァングァルディアの主人公のひとり。ナポリとローマで教育を受けた後、具象絵画を実践。ヨーロッパの表現主義様式の緊張を、しばしば生活の場としたインドの象徴主義文化との対話によって和らげた。ニューヨークに移ってからは、ビート文化と直接的に関わり、エロティシズムと神聖さの間で、原始的でかつ洗練された形象化の方法を成熟させた。その要素は、本展中の1986年の銅版画(アクアチント)にも認められる。

ピエトロ・コンサーグラ Pietro Consagra
(マザーラ・デル・ヴァッロ 1920-ミラノ 2005)

イタリア彫刻の革新を進めた芸術界の権威。1947年にローマのグループ「フォルマ」に参加し、抽象主義への展開を強く肯定し、実践。彫刻の三次元性を排し、カットと重なりで大気-空間との垂直の関係を生みだす、ほぼスクリーンのような正面観を主張する。その選択は、とくに都市空間や開放的な自然のなかに建てられた大規模作品において効果的だが、本展出品の貴重なブロンズ彫刻《リフレクション第3》(1966年)においても、同様の特徴が把握される。

エンツォ・クッキ Enzo Cucchi
(モッロ・ダルバ 1949-)

マルケ州出身のアーティスト。トランスアヴァングァルディアに、表現主義と民衆的な象徴主義の破壊的な力を引き入れた。荒々しく濁った色彩で幻想的なイメージの断片を描出。そのイメージは明白な物語ではなく、惨事、紛争、しばしば死の実存的条件を呼び起こす暗示によって結びつけられる。好んで用いられるきつい色調は、カンヴァス作品からオブジェや彫刻にも広がる。一連の特徴は2点組の油彩《イエス》(2000年)がよく示している。

サブリーナ・ダッレッサンドロ Sabrina D’Alessandro
(ミラノ 1975-)

現代美術には、集合的または個人的な過去のイメージやオブジェクト、ドキュメントを回復・整理・再考する傾向がある。「アーカイブ」または記憶として定義されるこの芸術は、リグーリア州のアーティスト、ダレッサンドロの作品の、特別なヴァージョンとなっている。彼女は忘れられた言葉や使われなくなった言葉を「救出」し、インスタレーション、写真、本など、多様なかたちをもって、人々の注意を喚起する。オノマトペ「Raplaplà」についてコメントするユーモアに満ちた展示作品(2010-2016年)もその一例である。

ジーノ・デ・ドミニチス Gino De Dominicis
(アンコーナ 1947-ローマ 1998)

デ・ドミニチスの創作は、芸術傾向のあらゆる分類から逃れるもので、むしろそれ自体が時代を画してきた。1960、70年代には、有名なパフォーマンス、インスタレーション、ヴィデオ作品を展開。生きている人々を巻き込んだり、からかい半分の骸骨を作ったり、挑発、アイロニー、不条理をもって、時間と死の神秘を問うた。1980年代から死に至るまでは、オリエントの神話や秘教的な儀式、星界の驚異を引用する神秘的な人物の絵画を多く描いた。本展においては写真とシルクスクリーンの間のイメージ《斜めの作品》(1997年)で、彼の存在を記したい。

ニコラ・デ・マリーア Nicola De Maria
(フォリアニーゼ、1954-)

トランスアヴァングァルディアのグループの一員ではあるが、その創作は他と異なって個人的であり、抒情的・詩的なモチーフのしるされた抽象絵画の試みである。輝かしい原色による鮮明なフィールドに基礎づけられた絵画で、その画面には空や海、星、花、ペットを連想させる架空のしるしが配される。その構成は最小のフォーマットから壁全体、さらには環境までさまざまで、また制作のためにイタリアの古典技法であるフレスコがよみがえる。現代の調和の夢か。本展ではそれは《宇宙の11の花》(1996年)によって呈示されている。

フォルトゥナート・デペーロ Fortunato Depero
(フォンド 1892-ロヴェレート 1960)

第一次世界大戦後の後期イタリア未来主義を彩る主人公。1915年、「宇宙未来主義再建」のマニフェスト起草に貢献し、広告グラフィック、家具調度、ファッション、劇場のセットと衣装、人形など、「絵画を超えた」着想でそれを実行。1928年からのアメリカ経験によっても培われた、モダニスト的で遊び心とアイロニーのある物語のスタイルで、多面的な活動を展開した。展示されているのは1927年の「ボルト締め」本《ディナモ・アザリ》である。

ジャンニ・デッシ Gianni Dessì
(ローマ 1968-)

ローマの旧パスタ工場チェーレレに集ったグループのひとり。ドローイングや絵画の支持体や構造として多様な新素材を用いる実験的な姿勢において際立つ。抽象ないしミニマルな形象を自由なリズムをもって、均一で柔らかな色合いを背景に描き出す。混合技法の愛好家でもあるデッシは絵筆の代わりにロープを用い、油絵具の代わりにセメンタイトも使用する。また、重要な演劇公演のためのセットも手がける。紙、カンヴァス、板に描かれた1994年の《天の絵》は、彼のスタイルを総合的に示す作品である。

イレーネ・ディオニージオ Irene Dionisio
(トリノ 1986-)

歴史哲学学士。トリノのネオ・アヴァンギャルドグループで活動し、実験的なフェスティバルのディレクターを務める。ヴィデオアートの試みから、新しい言語の方法を提案し、それをインスタレーションにも拡張している。アクチュアルな社会問題や、現代美術の出来事や人物を扱うドキュメンタリー監督として高く評価されている。そのひとつ、《ヴェリー・イタリアン・パラッツォ》(2023年)は、ローマのパラッツォ・デッラ・ファルネジーナについて歴史的かつ詩的な解釈を行うもので、本展のために制作された映像である。

ターノ・フェスタ Tano Festa
(ローマ 1938-1998)

1960年代、アメリカから得たヒントに偉大なイタリア美術の記憶を組み合わせたローマのポップ・アートを、最初につくりあげた最も才能あるアーティスト。当初は鎧戸やシャッター、キャビネットをモノクローム絵画に仕立てたが、ついで画面中にルネサンスの傑作から写真で切り取ったイメージや碑文風の文字を取り入れた。1980年代からはシュルレアルと抽象の間のシーンを、明確な色使いの広い地と影のような黒い形象をもって描く。カンヴァスにアクリルで描かれた展示作品《無題》はこの時期の作例である。

ジュゼッペ・ガッロ Giuseppe Gallo
(ロリアーノ、コゼンツァ 1954-)

カラブリア州出身。旧パスタ工場チェーレレのグループのひとり。画面上の本質的な形象と、なおアンフォルメルの記憶の残る鮮やかな抽象的背景との間の均衡を探る作風で知られる。表現主義的傾向の絵画だが、伝統技法にもよく立ち返っている。1990年代以後、探求はより象徴的になり、地中海文化由来でもある異なる時代間の、あらたな混交を試みる。展示作品《無題》(2009年)は油彩、アクリル、エンコスティックで描かれた2点組の板絵である。

アルベルト・ガルッティ Alberto Garutti
(ガルビアーテ 1948-)

ロンアルディア州出身のアーティスト。1990年代から世界に現れた新しい種類のパブリック・アートのイタリアにおける先駆者であり、かつ、その指導的存在。ミニマルなインスタレーションと洗練された概念操作で、人々の感情的な参与を促し、都市空間とその住民の間の思いがけない詩的関係を開く。ミラノのブレラ・アカデミーでは、多くの若い学生を芸術の新しい道へと導いた。板石に文字を刻み込んだ2015年の作品《人生のすべての歩みが私をいま、ここに導いた》は、その心に響く証拠である。

ミンモ・ヨーディチェ Mimmo Jodice
(ナポリ 1934-)

イタリアの最も偉大な存命写真家のひとり。1960年代から故郷ナポリの社会的現実を調査してきた。1980年代以後は、人類学的な視線で、南部の風景と、その既知および未知の場所の秘密の生活に、洗練されたモノクロ写真の焦点を合わせる。1990年代からは世界中の都市を撮影し、各地で常に称賛を集めている。ヨーディチェはまた、古典的、考古学的な人物像に、時間の外の空間に浮かんでいるような、新しい生命を注いだ。ヴィジョンの明晰さと期待感に支配された内的強度。それらは、有名な〈地中海〉シリーズ(1990-1995年)から抜粋・展示される4枚の写真に要約されている。

ヤニス・クネリス Jannis Kounellis
(ピレウス 1936-ローマ 2017)

ギリシャ生まれ。早くにイタリアに帰化。1967年、ジェルマーノ・チェラントによって理論化された運動、アルテ・ポーヴェラを代表する最大の存在。火を吹くマルゲリータや石炭、綿を展示に取り入れ、コートと靴、鋼板とキャンドル、さらには生きた馬や植物を含むインスタレーションを実践する。神話的な精神と劇的な厳粛さで再生される現実は、一方で、記号の初発的経験としての絵画に由来する。そのことは、クネリスへのオマージュとして展示される2004年の大きなエッチング作品がよく示している。

フェリーチェ・レヴィーニ Felice Levini
(ローマ 1956-)

1980年から、絵画における抽象主義と具象の和解を提唱したイタリアのグループ「ヌオーヴィ-ヌオーヴィ」に登場。当初は色と線形幾何学の解体によって、ついで肖像画、動物の姿、アラベスクで画面を活気づけることで、絵画の傾向を探究した。常に軽い幻想と詩的なアイロニーをもって、芸術の過去に、そして現在のヴィジョンに眼差しを向ける。写真パネル《光る目の自画像》(1991年)はその典型的な作例である。

セルジョ・ロンバルド Sergio Lombardo
(ローマ 1939-)

2つの異なる時代がロンバルドの芸術家としての道のりを印づける。最初はポップ・アートと対話するローマのグループへの参加。有名人(国際政治の登場人物を含む)の黒いシルエットのような、一連の「典型的身振り」を描いた。第2期となる1980年からは幾何学的に分解される抽象絵画を実践。偶然の形を生成するアルゴリズムの予測不可能な介入実験を行った。ロンバルドの語る「偶発主義」である。《Lin-Sat》(1987年)と題された絵画の万華鏡がその例である。

ピエロ・マンゾーニ Piero Manzoni
(ソンチーノ 1933-ミラノ 1963)

芸術言語の革新者。1962年に「アーティストの糞」というラベルとともに展示された缶で、メディア的にも名を馳せた。マンゾーニのネオ・コンセプチュアルな挑発は、常にアイデアの視覚的表現であり、1959年にミラノでエンリコ・カステッラーニと創刊した雑誌『アジムート(方位角)』を通してさらに深められた。身体そのもの、物質、日常の事物が取り上げられ、異なる目でその現実を見るよう誘われる。つまり、現実は、芸術の虚構性によってすっかり変容し、時間を超えた「記念碑」に引き渡される。マンゾーニの足跡のある《魔法の台座》(1961年)のように。

マリノ・マリーニ Marino Marini
(ピストイア 1901-ヴィアレッジョ 1980)

トスカーナの彫刻家。イタリア彫像の偉大な伝統(エトルリアからルネサンスまで)を、パリを中心とした近代ヨーロッパの造形形式の本質と接合することを常に目指した。1920、30年代には「ノヴェチェント」運動に参加。戦後はヘンリー・ムーアなど彫刻の革新者との関係を通して、その彫刻の古典的な性質を、より簡素で厳格なものとした。馬は彼がとくに好んだ主題のひとつ。出品作は1945年のブロンズヴァージョンである。

アルトゥーロ・マルティーニ Arturo Martini
(トレヴィーゾ 1889-ミラノ 1947)

イタリア20世紀の「ヴァローリ・プラスティチ(造形価値)」の最大の解釈者。14、 15世紀のプリミティヴィズムの遺産を、瞑想、休息、睡眠のような本質的な姿勢を表す秀でた彫刻形態と結びつけた。1945年、戦後ヨーロッパの変化によって生じた感受性の危機を受けて、彫刻を「死語」と宣するが、一方、晩年にも労作、傑作を実現する。出展作品《亡き恋人》(1922年)は、彼の詩学の強度を示す貴重な作例である。

ファビオ・マウリ Fabio Mauri
(ローマ 1926-2009)

イタリアのネオ・アヴァンギャルドの主人公。長きにわたりパフォーマンス、オブジェクトを配した大規模なインスタレーション、映画メディア、書籍などを手がけた。マウリはコンセプチュアル・アートを抑圧的なイデオロギーに対する政治的・歴史的批判として捉え、ヨーロッパの近過去(ファシズムとユダヤ人迫害)と彼の同時代を見据えた。本展中のモノクロームカンヴァスの複合構造作品−−「スクリーン」の基本シリーズに属する−−のタイトル「なぜ思考は部屋を毒すのか」(1972)がよく要約する世界である。

マリオ・メルツ Mario Merz
(ミラノ 1925-2003)

アルテ・ポーヴェラの誕生に参加したトリノのグループのリーダーとみなされるアーティスト。その芸術は魔術的な生気の流れにそって展開する。中心をなすのは、彼が「イグルー」と呼んだ石、木、ガラスで覆われた金属半球の発明である。さらに、中世の数学者、フィボナッチの級数が、ネオンの数字、動物、機械を配した、視覚的に螺旋をなす複合的なインスタレーションに適用される。それは象徴的な果物の置かれたテーブルにも登場する。本展中の2点の重要なドローイングヴァージョン(1975年、1980年)にも記録されるモチーフである。

マリーザ・メルツ Marisa Merz
(トリノ 1926-2019)

夫であるマリオの姓と一体化することを常に望んだ繊細なアーティスト。しかし、その脆くも洗練されたミニマルな創作で、一作家としての独立した評価を獲得した。まばらな織りの銅やウールのワイヤー、白いワックスの小オブジェ、粗い木製の小さな頭、ほとんど消えかけた肖像のある微かなドローイング、詩的な小噴水と水盤。「女性的」芸術の平凡な次元には還元されない親密で瞑想的な世界。本展出品作(2002年)の紙に描かれた形象がそうであるように、彼女の作品は生命の神秘をめぐるメッセージを伝える。

ミルコ Mirko
(ウーディネ 1910-ケンブリッジ、アメリカ 1969)

バザルデッラ3兄弟の1人。アフロとディーノとともに、故郷のフリウリからローマに出た。1930年代から彫刻を手がけていたが、その個性が発揮されるのは、アンフォルメル的なインスピレーションが抽象と不安定に交錯する1948年以後である。その後、中東、極東、ラテンアメリカへの旅行を経て、異民族風の登場人物、トーテムと仮面、野生動物などが現れる神話的な幻想の世界を創作。ペギー・グッゲンハイムをはじめ、アメリカ合衆国の文化界を魅了した。本展会場には1959年の木製の戦士が立つ。

マウリツィオ・モケッティ Maurizio Mochetti
(ローマ 1940-)

1968年、ローマでのセンセーショナルなテクノロジー・パフォーマンスで頭角を現し、続いて空間を横断し知覚を改変する赤色レーザー光線の先駆的な使用に向かう。時空の四次元性に促され、さらに鏡や弾力のある装置、あるいは空想の飛行機やロケットを創作する。未来主義的モチーフの再提示だが、そこにユートピアはなく、むしろ動揺をもたらす効果や遊戯的変位が作用する。《ペンギン》と題された3点の飛行機(1987-2005年)がその特徴を示唆する。

リリアーナ・モーロ Liliana Moro
(ミラノ 1961-)

フロアに散らばるオブジェひとつひとつや断片の、夢のような現れ。メッセージ音やメモ書きの添えられた謎めいたインスタレーション。それらが示すのは、1970年代のネオ・コンセプチュアルな環境のなかで形成された、モーロの繊細かつ厳格なミニマリストの詩学である。彼女が注意を向けるのは、不確かな現在の象徴としての、生きられ、失われた時間である。遊戯から動揺へのアイロニカルな変転も加わる(2005年にブロンズで作られた絶望的な犬の群れのように)。《なかのひとはなか、そとのひとはそと》(2003年)と題されたドローイング連作が、これをよく示す。

ヌンツィオ Nunzio
(カニャーノ・アミテルノ-ラクイラ 1954-)

マルケ州からローマに移ったアーティスト、ヌンツィオ(ディ・ステーファノ)は、1980年代に彫刻を開始。故郷の牧歌的な扉や壁の記憶を、アメリカのミニマル・アートの厳格さで濾過しながら、制作に取り入れた。ヌンツィオ個人による総合は、物質と光の均衡、そして空間との調和的関係をめぐる研究を通して、木、鉄、鉛(後にはブロンズも加わる)をもって構造化される。アルカイックな感情は古典形式の質のうちに定義される傾向をもつ。そこに生まれる対話は、木に鉛の大型パネル作品《塩田》(1993年)にも明らかである。

ルイジ・オンターニ Luigi Ontani
(ヴェルガート、ボローニャ 1943-)

ポストモダンの新しい手法の独特の解釈者。1960年代から自身の裸体や異装を写真で捉えたタブロー・ヴィヴァンを開始。ついで彫刻やインスタレーション、絵画を用いて、極東の、あるいは、とくにインドの神話や図像の空想的な混交を生みだす。セルフポートレート写真でもある《クレオ-パトリア》(1998年)は典型的作例。毒蛇をもって自ら死を選ぶエジプトの王女クレオパトラを、イタリアの三色旗をまとい、オンターニ自身が演じている。

ミンモ・パラディーノ Mimmo Paladino
(パドゥーリ、ベネヴェント 1948-)

イタリアの古代文明の記憶、現在の質素ながら意味深い事物のエンブレム、死の神秘のアイコンは、1980年代にトランスアヴァングァルディア運動から画家として登場した南イタリア出身のアーティスト、パラディーノの瞑想的芸術に収束する。彼は1990年代からは公共空間での大規模な形而上学的インスタレーションや、現代的な感性をもってイタリアの「偉大なヴィジョン」を捉え直す彫刻を手がける。そのことはブロンズの騎馬像《エトルリア人(マリノ・マリーニへのオマージュ)》(2003年)にもはっきりと認められる。

ジュリオ・パオリーニ Giulio Paolini
(ジェノヴァ 1940-)

1960年代以後のトリノのコンセプチュアル・アートのグループを代表する存在。芸術作品を定義する構造、記号、要素の、謎めいたイメージと省察のうちに、現実と虚構の関係を問う。カンヴァス作品やインスタレーションは、形而上学的な純粋さと、イタリアと地中海の古典性との対話を示す。フレームと写真の断片で構成された作品《ゼウスとアンティオペ》(2016-2021年)もその例である。2022年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。

ピノ・パスカーリ Pino Pascali
(バーリ 1935-ローマ 1968)

プーリア州出身のパスカーリのローマでの短い冒険は、わずか35歳で閉じられたが、ポップ・アートとアルテ・ポーヴェラを超えた遊びと神話の間の、一連の独創的なサイクルのうちに凝縮されている。偽物の兵器、枠で曲げられたカンヴァス製の斬首された動物たちからなる「偽彫刻」、本物の水の入った箱の海、巨大な毛虫とクモ、橋と罠、寝藁と農具。それらすべてが大量消費材で仕立てられており、Rai-TVコマーシャルのために自由に制作された空想的ドローイングやアイロニカルなスケッチとは好対照である。本展では1965年のドローイング《トーテム》の出品が彼へのオマージュとなろう。

ルカ・マリア・パテッラ Luca Maria Patella
(ローマ 1934-)

想像力に富み、多彩で「トータルな」芸術家。デュシャン以後のすべての言語を自身のシュルレアリスム的な感興をもって実践し、部分的に再発明を行う。1960年代のパフォーマンスアートや環境芸術、実験写真の先駆者であり、ヴィデオアートの先触れ。1970年代からは天文学、化学、心理学、秘教、言語ゲーム、詩、文学が混在するインスタレーションや出版を手がける。その芸術と生のカクテルは、1973年の写真プリントによるカンヴァス作品《宇宙メダイオンのサルとロンド》で味わえる。

アキッレ・ペリッリ Achille Perilli
(ローマ 1927-チコーニア、オルヴィエート 2021)

ローマ美術界の主役。1947年には早くも「フォルマ1」に参加。抽象-具体芸術の革新的な経験を積み、ヨーロッパのキュビスムから借り受けた幾何学的な記号の文化を演劇と実験音楽に移すことを試みる。その経験によって、ペリッリの抽象的な幾何学は、明快に縁取られ、多様な明るい色彩で満たされた断片で活気づけられ、空間内で構成を変動させながら分節化された。その明るく澄み切った形式主義は、1955年のカンヴァス作品《イタリア旅行》のヴィジョンからわかるように、「地中海」的とも定義されるものである。

ベネデット・ピエトロマルキ Benedetto Pietromarchi
(ローマ 1972-)

軽やかで心のこもったファンタジーが、陶器の温もりのなかに、小さなエデン(植物、花、鳥)としての夢を同居させながら、アーティストの造形作品を駆け抜ける。ピエトロマルキはロンドンに15年間住み、トスカーナに定住する以前には世界を旅した。その起源の土地、古の職人の知恵の宿る土地にふれた。一方、ヨーロッパのポスト・ポップからのシュルレアルな刺激を大切にする彼の「ナチュラリスト」アートには、実際の幹や根も用いられる。澄んだ雲を背に吊り下げられた1本の枝が、木材パルプにプリントされた《正午の雲》(2016年)にも認められる。

アルフレッド・ピッリ Alfredo Pirri
(コゼンツァ 1972-)

カラブリア州出身、ローマ在住のピッリの名声は、2005年に踏み割ることができる鏡の床を発表してから広がった。以来、インスタレーション「鏡」は美術館、城館、宮殿、広場を占領してきた。それはアーティストが繰り返し試み、調査してきた芸術、建築、空間の間の不安定な関係の寓話である。彼はまた、さまざまに不安定な、しかし、動きと生気のある彫刻も手がけてきた。銅管をねじ曲げ神話を呼び起こす《エウロペの略奪》(1996年)もその一例である。

ヴェットール・ピザーニ Vettor Pisani
(バーリ 1935-ローマ 2011)

1970年、精神分析を鍵にデュシャンを再解釈するパフォーマンスでローマに登場したピザーニの活動は、あらゆる枠組みの外部に広がるものである。以来、ユートピアと恐怖、象徴主義と神話の交差を強調する作品、インスタレーション、アクションが続いた。スフィンクスと人形、芸術イメージ、天使、神聖な動物が作品に登場する。すべてに演劇的なグロテスクなまでのアイロニーがあり、そこに死の感覚が隠される。出展作、金色の人体を円柱に置いた《ヘルメス》(2007年)ではモチーフの対照が認められる。

ミケランジェロ・ピストレット Michelangelo Pistoletto
(ビエッラ 1933-)

国際的名声を博するアーティスト(2013年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞)。人物写真の切り抜きを貼り付けた鏡に、通りがかりの人も映り込んで統合される作品で、60年代初頭には早くも知られていたが、1970年代にはアルテ・ポーヴェラの主人公となった。1990年代からは、パブリック・アートやアート・コレクティヴの動向を、ビエッラのチッタデッラルテ財団や「サードパラダイス」という芸術的・社会的再生プロジェクトによって牽引している。本展にはエトルリア人のブロンズ像が映り込む鏡(1976年)が出品される。

ピエロ・ピッツィ・カンネッラ Piero Pizzi Cannella
(ロッカ・ディ・パーパ 1955-)

影、染み、色の滴、擦り切れた痕跡、薄塗りと透明感。それらは1980年代に新ローマ派のグループから登場したピッツィ・カンネッラの具象絵画に、不安定な雰囲気を与えている。テーマ性のある連作を通じて表現されるメランコリックな形象。置き去りにされた物のような椅子、貝殻、シャンデリア。海と陸の風景の淡い現れ。不気味な黒の大聖堂。そして、有名であっても孤独な人士。アキッレ・ボニート・オリーヴァのように。絵画作品《アキッレに》(1985-86)がよく表している。

ファブリツィオ・プレッシ Fabrizio Plessi
(レッジョ・エミリア 1940-)

電子アートの先駆として1960年代末より活動。水の自然主義的なテーマに焦点を当てる。そのインスピレーションは、プレッシの住むヴェネツィアとの長い関係によってもたらされる。水を映し出す一連のテレビモニターを用いた荘厳なインスタレーションは、空想の川、滝、垂直の海に命を吹き込む。後に、炎のデジタルイメージを用いるインスタレーションも加わる。プレッシはまた、デジタルとは対照的な、最もアルカイックな物質への回帰として、アンフォラ、幹、石との物理的複合体も実現する。象徴的なテラコッタ製テレビ《第一質量》(2016年)は、この段階を示している。

アルナルド・ポモドーロ Arnaldo Pomodoro
(モルチャーノ・ディ・ロマーニャ 1926-)

1960年代以来、ミラノにあって国際的な注目を集める芸術家。研磨され光沢を放つ金色のブロンズで一次形態(柱、円盤、球、三角形)を表す抽象彫刻で知られる。その内部は切り裂きや明らかな破壊、鋸歯状の機械装置の断片によってしるしづけられる。古典性と現代的なドラマの間の緊張を際立たせるのは、世界中に建てられたモニュメンタルな円盤である。ローマのパラッツォ・デッラ・ファルネジーナやニューヨークの国連本部前にも彼のモニュメントがある。本展では1989年の《日輪》の出品をもってポモドーロへのオマージュとする。

ダニエーレ・プッピ Daniele Puppi
(ポルデノーネ 1970-)

新世代の最も興味深いアーティストの1人。実験芸術の確かな成果で評価されている。その大規模なプロジェクションは空間に侵入し、観客の心を打つ。それらは単純な身振り(通常はプッピ自身の体で行われる)であるが、耳をつんざくような突然のノイズで、緊張の極へと導かれる。より概念的な変異に、多感覚変位操作が加わる。今回展示される《ロンドン・コーリング》(2013-14)の場合、間隔を置いて鳴る電話の受話器を取ると、オオカミの異常な遠吠えが聞こえる。

ミンモ・ロテッラ Mimmo Rotella
(カタンザーロ 1918-ミラノ 2006)

ポップ・アートに対するヨーロッパからの応答の試みに創造的な熱意をもって参加し、ピエール・レスタニーのヌーヴォー・レアリスムの動きにも加わるが、ロテッラ自身は1953年にはすでにローマでデコラージュ(広告や映画のポスターを剥がして作られたカンヴァス作品)を実験し、国際的な名声を得ていた。1960年代にはアルタイポ(印刷シートの重ね合わせ)を発明し、他にも、紙材に機械的に、または手を加えて歪みを生みだす形式を編みだした。1980年代には映画からインスピレーションを得た絵画を描く。本展にはデコラージュの例として、1959年の《赤のR》が出品される。

ピエトロ・ルッフォ Pietro Ruffo
(ローマ 1978-)

ルッフォはアトラス、地図、地理・歴史的アーカイブに、想像力豊かな介入を行う。紙片、ピン、陶器、磁器などのさまざまな素材を用いて、風景、人物、地図、幾何学を表すが、それらは人生の流れやシンボルの重なりや層のうちに分節化される。今回展示される典型的な混合技法作品《デ・ホルトゥス(グレーとシエナ色)》(2018年)においては、トンボと蝶によって表される自由をめぐる大きなテーマとともに、現代の地政学的な緊急事態を反映する個人的および集団的な物語が示される。

アルベルト・サヴィーニオ Alberto Savinio
(アテネ 1891-ローマ 1952)

イタリアのシュルレアリスムを代表する最大の存在。形而上絵画で有名な兄のジョルジョ・デ・キリコと区別するために別姓を名乗った。絵画を始めるのは1927年とかなり遅く、著述家および音楽家としての地位をパリで確立した後のことだった。サヴィーニオは、人間と動物の間、そして木と玩具の間の変容を呼び起こす、驚愕とアイロニーのある絵画に命を吹き込んだ。家庭の部屋から発する冒険を描く一方、魅惑的な風景を作りだす冒険も描く。本展には厚紙に描かれたテンペラ画《とどまるもの》(1933-1944年)が出品される。

マリオ・スキファーノ Mario Schifano
(ホムス、リビア 1934-ローマ 1998)

アメリカモデルとは異なる「イタリアのポップ・アート」の才能溢れる主人公。当初は「血の気のない風景」画で、商標や道路標識を拡大し、未来派の再解釈を進めた。ついで、テレビのニュースや番組から取ったイメージをカンヴァスに移す。また、実験映画を作り、フィルムの断片とスライドを変形させた。1980年代からは、幻想的な風景や東洋の植生、子ども時代の遊びを描く鮮やかな即興絵画の作者となった。今回展観される大作《サンクチュアリ》(1986年)は、その一例である。

 

マルコ・ティレッリ Marco Tirelli
(ローマ 1950-)

立体幾何学(球、平行六面体、円錐台) の純粋な形や主要な建築構造(ドア、窓、部屋)が、ティレッリの主なインスピレーション源である。彼もまた新ローマ派出身で、抽象と具象の間で構成される実質的にモノクロームの絵画を手がけた。描かれる形は影から出てくるような魔法の光に包まれている。色彩は知覚されず、場面は中断状態に保たれる。カンヴァスにテンペラの作品《無題》(2006年)に描かれた球にもその視覚的効果は明らかである。

グラツィア・トーデリ Grazia Toderi
(パドヴァ 1963-)

イタリアの中堅世代でも特に重要なアーティスト、トーデリがうみだすイメージは、無限へと向かう時空間の拡張によって、目眩のような感覚を喚起する。彼女は名高い劇場やモニュメント、聖堂を星界で回転する宇宙船に変える。また、火山や地獄、銀河になる都市または塔の輪郭を、完全な赤に変換する。ミラノのスカラ座をめぐるヴィデオから生まれたのが、《センパー・エアデム》(2004年)と名付けられたプリント大作である。ラテン語のモットー「常に同じ」によるタイトルは、恒常性と一貫性を指し示す。

グラツィア・ヴァリスコ Grazia Varisco
(ミラノ 1937-)

1960年代初頭から、イタリアにおいてキネティック・アートとアルテ・プログラマータを推進したアーティスト。最初はミラノのグルッポTに加わり、後に個人として、可動要素のある〈磁気パネル〉や、〈可変発光スキーマ〉、〈壊れる格子〉、〈つながる絵画〉のシリーズ、光線が通過する環境全体などを創作する。規則と偶然のあいだのゲームの詩学は、人々の関与を促し、変化や予想外の展開を、芸術に限らぬ条件として受け入れる可能性を高める。展示される《つながる絵画》の2008年ヴァージョンもこの詩学を表している。

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