【本の魅力再発見!】『恋するトリエステ』

イタリア文化会館では、新型コロナウイルスの感染拡大防止措置に伴う休校、テレワーク、外出自粛により在宅で過ごす方に向け、毎週水曜日スタッフがお勧めのイタリア文学を紹介します。 今日皆さんに紹介するのは、 ヘレナ・ヤネチェク の『恋するトリエステ』(橋本 勝雄 訳 、イタリア現代文学アンソロジー『どこか、安心できる場所で』国書刊行会、2019年 所収)です。

この物語は、たった12ページしかない。本当に一瞬だ。

それなのに、こうも私に強烈な印象を残し、読んだ後もじわりじわりと私の心に居残り続ける。

『恋するトリエステ』を読んでまず思うこと。それは、読書という行為は、本を実際に手にとって読むことだけを指すのではない、ということだ。

この物語は、あっという間に終わってしまう。なぜこれだけ短くできるのか、というと、おそらく誰もが見聞きしたことのある話に似ているからだろう。街に新顔がやってきて、色恋沙汰を引き起こす。それはよくあるいつもの噂話であり、ときには自分が話の中心であるかもしれない。

しかし、不意を突かれるのだ。この感覚は身に覚えがある。アントニオ・タブッキの『逆さまゲーム』だ。読者のミスリードを誘うような仕掛けが施された短編集である。タブッキの場合、最後までその尻尾をつかませないで、あたかも狐につままされたかのような気分になることもあるが、ヤネチェクは私たちをその手にぎゅっと掴んで放さない。私たちは、読み終えたあともこの物語について考え続けざるを得ない。

また、橋本氏による翻訳の切れ味が、このトラップをより効果的にしている。物語の展開に応じてトーンを見事に使い分けることによって、場面場面のイメージを最大限に膨らませ、物語自体の短さに釣り合わないほどの読み応えを与えてくれている。

この世界で他者と共生していくには、想像力が必要だ。感情移入ではなく、その人が置かれている状況を理解しようとする絶え間ない努力。どんな人にも、彼ら/彼女らの暮らしがある。たとえニュースの一面を飾るような人物でも、他人の見えないところには、その人の日常やストーリー、つまり「個」がある。

しかし、いつでもどこでも同じなんだ、と油断していると突如それは訪れる。災害というのはいつもそうだ。その渦中にあるとき、人は自分の「個」に必死にしがみつこうとする。だが災害は、差別的であれ、無差別的であれ、そうした「個」を瞬く間に押しつぶされてしまう。ヤネチェクは、想像力を発揮して、そうして押しつぶされてしまった「個」を回復しているのだ。

舞台は1937年、トリエステ。「21世紀イタリア短編アンソロジー」である本著において、なぜこの舞台設定なのか。いつの時代でも起きることは同じだからだ。現に世界が大きな困難に直面している今、この物語を読むことは、我々にとって大きな意味がある。

それなのに、こうも私に強烈な印象を残し、読んだ後もじわりじわりと私の心に居残り続ける。

ヘレナ・ヤネチェク

ヘレナ・ヤネチェクは、1964年にドイツのミュンヘンでポーランド系ユダヤ人の両親のもとに生まれた。30年以上イタリアに在住しながら、イタリア語で作家活動を行なっている。報道写真家ロバート・キャパのパートナーであり、スペイン内戦で命を落としたユダヤ人女性写真家ゲルダ・タローを描いたノンフィクション・ノベルLa ragazza con la Leica(2017年)でイタリア文学界最高の賞、ストレーガ賞を獲得。イタリア語が母国語でない作家による初の受賞ということでも注目を浴びた。

(H.)

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