ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なアリアの内容を知ろう ヴェルディ作曲《ドン・カルロ》

第4幕*でフィリッポ2世が歌うアリア「彼女は私を愛したことがない」
Verdi DON CARLO atto quarto* “Ella giammai m’amò”
*5幕版の場合。4幕版では第3幕となる。

1867年パリ初演時のポスター

スペインのフェリペ2世の息子、ドン・カルロスをタイトルロールに据えたヴェルディのオペラのことを日本では一般的に、最初にヴェルディが作曲したフランス語版を《ドン・カルロス》、イタリア語に翻訳されたものを《ドン・カルロ》とすることが多いが、実際のところ、その呼び方は混在している。今回はイタリア語版を取り上げるので本文中の役名はイタリア語版に沿うことにする。

このオペラには5幕版と4幕版がある。ざっくり言ってしまえば、王子カルロが、まだ見ぬ婚約者エリザベッタの顔を見に行き、森で出会う場面から始まるのが5幕版。それはバッサリとカットして、すでに彼女がカルロの父、フィリッポ2世と政略結婚させられて、すでに数年経たところからスタートするのが4幕版となる。

フェリペ2世

絶大な権力を誇っていたそのフィリッポ2世が、夜明け間近の書斎で、眠れないままに、若き妻エリザベッタが「彼女は私のことを愛したことがない」と嘆き、権力者の孤独と悲哀をしみじみと語るのがこのアリア。5幕版での第4幕(4幕版では第3幕)冒頭に置かれるフィリッポのドラマティックなこのアリアは、ヴェルディのオペラにおけるバスを代表するアリアのひとつで、「自分に安らかな眠りが訪れるのは、死を迎えた時だけだろう」と語る。

エリザベート・ド・ヴァロワ

ところで、このフィリッポ2世という役を演じるには大人の色気を要する。この後の場面で登場する老齢の宗教裁判長に、カトリックの長である王として、新教への(つまりは父に反目する息子カルロにも)もっと厳正な処分を求められるなど、多くの問題を抱えている。(史実では彼は息子の婚約者であったフランス王アンリ2世の娘エリザベートを政略結婚で自分の妻にしたのは32歳。相手は10代半ばである。年齢の離れた妻が、自分に心を開かないのは致し方ない。)絶対君主として16世紀のスペインに君臨した王の孤独を、フィリッポ役のバス歌手は、このアリア一曲で表現せねばならない。なぜならここ以外の場面では、フィリッポはあくまで王としての「表の顔」で存在し、ここだけがひとりの男として弱みを見せる場面となる。史実を鑑みれば、ドン・カルロスが亡くなった時、フェリペ2世は41歳。72歳まで生きたこの王にとっては壮年期ではあるものの、国王としての日々の苦悩が、歌詞にあるような白髪の混ざった老成感を醸し出していたと考えるのが妥当だろう。

ドン・カルロ

なお史実のエリザベートは、フェリペ2世との間に2女をもうけたが、ドン・カルロスが亡くなった数ヶ月後に、彼女も病気でこの世を去っている。

また、歌詞に出てくるエスコリアル(現エル・エスコリアル修道院)は、フィリッポ2世自身が建設させたもので、実際、その中にある王家の墓所に、彼自身が眠っている。

ドイツではこの役は、バス・バリトン(バッソ・バリートノ:basso = baritono)が手掛けるとも聞くが、イタリアでは普通にバス(バッソ:basso)が歌う。それはイタリア人のバスの声というのが、柔らかく明るめのバッソ・カンタンテ:basso cantante がほとんどで、ドイツ人のように大柄な体格で、筋力も強く、もっと音域が低くて深く強いバスの声(いわゆるバッソ・プロフォンド:basso profondo)があまり存在しないことにも起因する。少なくとも18世紀までのイタリア・オペラにおけるバスの役は、こうしたカンタービレを歌える、柔らかな声のために書かれたものがほとんどである。

Ella giammai m’amò!…
Quel core chiuso è a me,
amor per me non ha!…

彼女は決して私を愛したことはない!
彼女は心を私に閉ざして
私への愛など持ってはいないのだ!

Io la rivedo ancor contemplar trista in volto
il mio crin bianco il dì che qui di Francia venne.
No, amor non ha per me!…

私には今もあの時の、彼女がフランスから来た日の私の
白髪に目にした時の彼女の悲しげな顔が
目に浮かぶのだ!
そうだ、彼女は私に愛を抱いたことなどないのだ!

Ove son?… Quei doppier!…
Presso a finir!…
L’aurora imbianca il mio veron!

私はどこにいるのだ? 
ロウソクの炎が燃え尽きようとしている!
部屋のヴェランダが暁に白み始めている!

Già spunta il dì. Passar veggo i miei giorni lenti!
Il sonno, oh Dio! sparì dagli occhi miei languenti!

再び一日が始まる。私の遅々として進まない日々が過ぎていく!
眠りも、ああ神よ、私の疲れ切った目から消え去ってしまった!

Dormirò sol nel manto mio regal
quando la mia giornata è giunta a sera,

私は王のマントに包まれて、ひとり眠るだろう
私の人生という一日が、黄昏を迎えたときに

dormirò sol sotto la vôlta nera
là, nell’avello dell’Escurïal.

私は眠るだろう、あのエスコリアルの
丸天井の下の暗い霊廟の中で

Ah! se il serto real a me desse il poter
di leggere nei cor, che Dio può sol veder!…

ああ、もしも王冠が私に、神だけが持つ
人の心を読む力を与えてくれたなら!

Se dorme il prence, veglia il traditor.
Il serto perde il Re, il consorte l’onor.

王子が眠っていても、裏切り者は目覚めている
冠は王を、夫を、名誉を失うのだ

Dormirò sol nel manto mio regal・・・

私は王のマントに包まれて、ひとり眠るだろう・・・

                (文・抄訳:河野典子)

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