オペラの世界10 「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(2)

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第10弾をお送りします。
日本ヴェルディ協会主催の「名作シリーズ」講演会の第1回として、2017年2月17日、文京シビックスカイホールで講演会を行い、ヴィオレッタとジェルモンに焦点を当ててお話をしました。講演会では実際の映像を多く使い、それぞれの違いを観て、聴いていただきましたが、講演会の内容を《ヴィオレッタ編》と《ジェルモン編》、そして《演出編》に再構成してお送りします。今日はジェルモンに関するお話です。
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《ジェルモン編》
この作品で最も大事なシーンはヴィオレッタとジェルモンの二重唱

アルフレードの父ジェルモンとヴィオレッタの第2幕の二重唱は、この幕の前半のほとんどを占める長いシーンです。アルフレードは小説では24歳で、戯曲でも20歳そこそこ、という設定です。息子と高級娼婦とを別れされるために現れた父親が、ヴィオレッタの弱点をうまく突きながら、ときには彼女の身の上に理解し同情を示すふりをしながら、上手にアルフレードとの別れを約束させます。ここが、この《ラ・トラヴィアータ》というオペラの中心部分でもあります。心理描写と会話だけで、特に事件が起こるわけでもないこのシーンのために、ヴェルディはこれだけの長い二重唱を書いているのです。ここはデュマ・フィス自身が書いた戯曲でも、多くのページを割いて描かれている核心部分なのです。

このふたりの心理的な駆け引きを歌で表現することは、簡単ではありません。つまり、ここが十全に表現できるかどうかが、そのソプラノがこの役に適しているか否かの試金石となりますし、ジェルモンも同様で、「どうだ、いい声だろう!?」といわんばかりに大声を張り上げるようなバリトンが歌っては、このオペラは台無しにされてしまいます。
ヴェルディは、初演版(1853年)の翌年、特にこの二重唱に相当手を入れて、それまでのいわば「芝居掛かった感情表現」を、「会話としてより自然なもの」になるように書き換えています。その結果、ジェルモンとヴィオレッタは、より自然な話し声の音域に終始することになりました。その分、言葉の言い方や声の色合い、演技などで、初演版よりも繊細に感情表現することが求められるようになったのです。

ヴェルディ・バリトン

ヴェルディの諸役は、どんな声種の役であれ「高音が決まってこそ」という作りをしています。これはイタリア・オペラに共通した性格でもあります。
ジェルモンには、有名なアリア「プロヴァンスの海と大地」があります。ちなみにこの、父が息子に故郷を思い出させようとするアリアとなっている(ヴィオレッタと対峙したときとは別人のような息子に甘い、親バカぶりが発揮される)部分は、戯曲には存在しませんし、小説でもこのように哀願するように息子を説得することはしません。ピアーヴェの台本による創作部分です。戯曲では、「自分を失ってショックを受けるであろうアルマン(=アルフレード)をどうか優しく慰めてあげてください」とマルグリット(=ヴィオレッタ)が言っています。ピアーヴェはそこを膨らませてバリトンの聴かせどころであるこのアリアを作った、といったところでしょうか。

ヴェルディ・バリトンは、バス・バリトンでは務まりません。テノールに近い「輝かしい声」で、かつ「音色に深み」もあり、「柔らかな声」であることが求められます。その上イタリア的な、走る伸びのある高音が決まらないことには務まりません。このような条件を満たすバリトンを指して、“ヴェルディ・バリトン”という特別な言い方が存在するのです。
では、高い声が決まればいいのだから、テノールが歌ったらさぞ楽だろうと思えば、さにあらず。テノールの声のままでバリトンの役も歌えるドミンゴも、近年この役を歌っていますが、バリトン役の高音は、テノールの声帯にとっては、通過音に過ぎません。言い換えれば、テノールにとって、大変中途半端なところで、その曲の最高音を決めなければいけない、ということが生じているので、彼としてもけっして楽に歌っているのではなさそうです。

ヴェルディの音楽では、長いフレーズ作りが求められます。たとえばこのアリアであれば、2小節ずつではなく、4小節ずつが表現における1つのグループとなり、息の流れの緊張感に至っては、曲の最初から最後まで一本のラインで繋がっていることが求められます。それがヴェルディらしい歌唱を生むとも言えます。しかし、以前インタヴューで名バリトンのレナート・ブルゾンさんに「最近、ヴェルディの歌唱スタイルが崩れてきていると思われませんか」と質問した時に、彼はこう答えました。「お前なぁ、我々がヴェルディのスタイルだと思っているものは、これまでの年月で積み重ねられた慣習でしかないんだよ。ヴェルディが生きていた時に生きていた人間は現存しないのだし、ヴェルディが自分のオペラを指揮した時の録音もない。ヴェルディらしさ、とは我々の想像でしかないのだよ。本当の正解は、誰にも知りようがないんだ」。確かにその通りです。ですが、聴いている側がツボにはまる歌い回しというもの、涙を誘うように心を鷲掴みするような歌唱が存在するのもまた事実で、そこに共通するスタイル感というものは、やはり存在しているのです。
  (講演・再構成:河野典子)


Renato Bruson

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

 
〈過去のブログ〉
オペラの世界9~「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(1)
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