Buongirono a tutti!
毎回好評の、音楽評論家・河野典子さんによる「オペラの世界」。今日は前回に引き続き「ベルカント」について皆さんと一緒に学びたいと思います!
============================
オペラの「原語上演」が世界中に普及したのは、実はここ30年ぐらいのこと。それまではそれぞれの国の言葉に翻訳されて上演されてきました。今や外国語を母語(マザー・ランゲージ)とする歌手によってイタリア語でオペラが歌われることが、当たり前になりました。しかし、ベルカント(唱法)のテクニックは、あくまでイタリア語を母語とするものなのです。そこで今回は、同じラテン系の母語を持つ歌手たち、あるいは、英語圏の歌手たちの特徴に触れながら、「ベルカント唱法」の話をもう少し掘り下げて書いたアントニーノ・シラグーザ(T)のリサイタル・プログラムのエッセイ(「ベルカントとイタリア語、そして、イタリア人」)を転載します。
イタリアですら絶滅寸前のベルカントの歌唱技術
ベルカント・オペラが、イタリアの作曲家であるロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティといったイタリア人作曲家の作品を指すように、ベルカントという歌唱法は基本的にはイタリアの伝統的な歌唱法のことで、その伝統を継いでいるのは当然イタリア人……のはずなのですが、その法則が近年かなり怪しくなってきました。
今夜聴いていただく、アントニーノ・シラグーザ(T)は、その生き残りの一人とも言えるでしょう。これは以前ほかならぬシラグーザ自身が言っていたのですが、彼のようなイタリア人のテノーレ・レッジェーロ(あるいはテノーレ・ディ・グラーツィアTenore di grazia)の系譜は、彼を最後に途切れるかもしれない。そして実際、残念ながらそうなりつつあります。
歌手のレパートリーの考え方は時代とともに変化している
現在の状況を生んだ一因は、レッジェーロの音色だったパヴァロッティが、リリコからリリコ・スピントのレパートリーまでを歌い、かつそれが評価されたことにあります。生まれ持った声が明るく軽いテノールたちが、キャリアを始めて数年で、ベルカント・オペラを捨ててどんどん重いレパートリーに手を出すようになってしまいました。きちんとした訓練を積んでいない、いわば見切り発車の歌手が多くなったこともその原因の一つです。それこそ、パヴァロッティのようにしっかりとした技術があればこそ、ラダメスを歌いながらもネモリーノに戻ることもできたわけですが、そうした技術を修得していない若い歌手たちが、その時の自身の声に合わないレパートリーに手を出すことによって、あっという間にその人が本来持っていた声の魅力が失われ、ベルカント・オペラを「歌いきれなく」なってしまうという残念なパターンがとても多くなりました。
ラテン系の言語を母語にする歌手たちの場合
テノーレ・レッジェーロといえば、シラグーザのひと世代下にフアン・ディエゴ・フローレスがいます。素晴らしい歌手です。彼は、南アメリカのペルー出身。ペルーの公用語はご存知のようにスペイン語です。パヴァロッティと並んで三大テノールとして名を馳せたドミンゴ、カレーラスもスペイン出身。レッジェーロの分野では彼らよりもほんの少し上だったアルフレード・クラウスもスペイン出身でした。彼らは世界中の聴衆を魅了して来た超一流の歌手たちです。
しかし、彼らの歌唱は、イタリア人によるベルカントとは、どこか微妙に異なるのです。どこが違うのだろう、と実はずっと考えてきました。私は言語学者でも音声生理学の専門家でもないので、彼らの録音や実際の歌唱を聴きながら漫然と考えてきたに過ぎないのですが、どうもそれは母語の性質の違いによるようなのです。イタリア語とスペイン語。同じラテン系のとてもよく似た言語です。ラテン系にはフランス語も含まれます。印刷された文章を眺めると、これらの言語はとてもよく似ていますが、いざ話されてみると、発音の方法が大きく異なっていることがわかります。唇の先を細かく使い、(歌唱ではなく喋る時に)Rを喉の奥の方で、無音で発音するフランス語。イタリア語にはない「は行」の多いスペイン語(例えば「日本」はJapònハポンと発音されます)。そしてその「は行」は日本語の「はひふへほ」よりもずっと深いところで発音されるのです。イタリア語には語尾を呑み込む、あるいは曖昧な発音となる言葉はほとんど存在しませんが、その他の言語はそうではありません。また、イタリア語は歌われるとき、母音と子音が(ごくわずかな)時差を生じさせながら飛んで行きます。例えば「ダー」と歌われるときには「ダ・アー」と、伸ばしている音からは母音だけが聴こえてきます。フランス語も似た傾向ですが、スペイン語は、子音を巻き込んだままで「ダー」と聴こえて来ます。
イタリア人が歌う外国語、そしてドイツ人やロシア人が歌うイタリア語
イタリア人が歌うフランス語には、なかなかフランス語の持つちょっとシャレた雰囲気は出せません。ラテン系からは離れますが、イタリア人が歌うドイツ語は、なんだか青空の下でやたらに明るく健康的ですし、逆にドイツ人が歌うイタリア語は子音が強く、どこか言葉が重くなります。ドイツ語というのは本来滑らかに歌われる言葉なのですが、子音が多いという性質上、声は前に飛んで行くのではなく歌手の真上に立ち昇って行きます。ロシア人ともなれば、彼らはその豊かな体格と筋力を生かして自分の体を共鳴させて音にしていくため、彼らが歌うとイタリア語がものすごい馬力で歌われる感覚をこちらが持つことになります。
英語圏の歌手の特徴
英語圏の歌手にも独特の癖が出ます。素晴らしい歌唱テクニックの持ち主だったソプラノ・リリコ・レッジェーロのジョン・サザーランドは、オーストラリア訛りの英語の発音が、イタリア語の歌唱のあちこちに顔を出していました。アメリカのロッシーニのスペシャリストのメゾ、マリリン・ホーンにも同様のことが言えました。英語は歌う時に、口角がピッと張った状態になり、(ブロードウェイ・ミュージカルを思い浮かべていただければわかるように)白く美しい上の歯がよく見える状態になります。あれはショウ・ビジネスだから笑い顔を見せているのではなく、英語の性質によるもので、アメリカのオペラ歌手がイタリア語やドイツ語で歌う時の口元は、ヨーロッパ出身の歌手と比べて美しい歯並びがキラッと光って見える確率が全く違います。口角を張って喋る英語を母語とする歌手たちの発音は、それがイタリア語であっても意外と口の中の奥まったところでなされるのです。それらは良い悪いではなく、それぞれの母語の持つ「特性」なのです。
絶滅の危機に瀕しているイタリアのベルカント唱法
喋るポジションというのは、DNAに組み込まれているというか、母語の性格をどこまでも引きずり、後天的には変わりきらないものなのです。ですから厳密な意味では、ベルカントというのはイタリア語を母語として生まれ育った歌手にしかできないのです。しかし現代では、イタリア人であってもベルカント歌唱のテクニックをしっかり継承している歌手がほとんどいなくなってしまいました。イタリアのベルカント唱法の伝統は、文字通り消滅の危機に瀕しているのです。
(東京プロムジカ主催2017年7月4日「アントニーノ・シラグーザ テノール・リサイタル」プログラムより転載)
〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。
2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。
〈過去のブログ〉
・オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
・オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
・オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
・オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~