オペラの世界7 インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第7弾をお送りします。Buona lettura!

これまで雑誌のインタヴューを通して、数多くの来日アーティストにお目にかかることができた。嫌な思いをしたことはない。直前でインタヴューをキャンセルした気難しいメゾや、イタリア語でインタヴューを受けると言いながらその場で、できないと言い始めた東欧圏のソプラノもいたけれど、思い出してもトラブルらしいトラブルはそのふたりぐらいで、イタリア人に限らず、皆さん紳士的で、穏やかで、こちらがどれほどつたないイタリア語であろうと一生懸命に質問を理解しようとし、誠実に答えてくださった。それも超一流の演奏家になればなるほどに、他人への気遣いが細やかなのである。彼らに会う度に、あるがままの、人としてのスケールの大きさに私は圧倒される。そうした人たちと話ができることは、この仕事の役得であり、この上なく幸せな時間だ。

複数回インタヴューさせていただいたアーティストの方は、いまもお目にかかれば「元気か?」と声をかけてくださる。ありがたいことだし、嬉しい。だが、個人的に信頼関係が築けたアーティストは、といえば、それはけっして多くない。かつ、その数少ない本当の友人たちを私は食事に招待したこともない。逆にご馳走になってしまったり、一緒にスーパーに買い出しに行っても、結局は手料理を振舞ってもらったり、招待券を手配してもらうことはあっても、私が歌舞伎や能にご招待したこともない。いつも私は彼らのお世話になるばかりで、何も彼らのお役になど立ったことがないのが実に情けない。

彼女との出会いは2005年のサン・カルロ歌劇場来日公演の時だった。彼女の名はバルバラ・フリットリ。初インタヴューの時も初対面の人間を緊張させない、温かな雰囲気の持ち主だった。その時だったか、あるいはその次のインタヴューの時だったか定かには覚えていないのだが、彼女が帰りがけに「あなたとは一般的に言うアミーカ(amica:女性の友人)ではない、本当の友人になれる気がする。本能的にそう思うの」と言って去った。

その後、ご存知のように世界的なプリマ・ドンナとして活躍してきた彼女だが、一番の思い出は、東日本大震災の数ヶ月後のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の来日公演のことだ。原発事故を受けて来日をキャンセルする歌手の多い中、彼女はドイツのディアナ・ダムラウらと予定通りに来日し、素晴らしい舞台で日本の聴衆を喜ばせてくれた。

大震災の直後、何人ものアーティストの方から「無事か?」というありがたいメールを頂戴した。「おや?バルバラから何も言って来ないな・・・」と思った私は、「おーい、生きてるよー!あなたの東京のお友達もみんな無事に違いないよ」とメールをした。それに彼女はすぐに返事をくれた。そこには「怖くて、メールが書けなかったの。もしも返事が来なかったらどうしようと思ったら、恐ろしくて・・・」と書いてあった。

その上で私は「今回の来日は見合わせたほうがいい。まだ余震も続いていて、いつまた大きな揺れがくるかわからない。原発事故の本当のことは、日本では海外の新聞の電子版でも購読しなければわからない状態で、日本政府は何も国民に知らせていない。そんな状況の今、来日するのはあまりに危険すぎる。今回キャンセルすることは非常識でもなんでもない、当たり前の行動だ。まず自分の身を守って」とメールを書き送った。フランス政府が震災直後、在日フランス人たちを即刻、日本国外に避難させるために特別便を無料で飛ばし、ヨーロッパ各国の政府の指示により日本を離れようとする外国人で、関西空港の周囲どころか、大阪のホテルまで欧米人で満員になってから、まださほど時間が経っていなかった頃だ。すぐにそのメールに返事が来た。そこには「予定通り行きます。私は震災に遭って辛い目に遭っている人たちを見捨てるようなことはできない。辛いときこそ、あなた方日本人を私たちは応援している、一緒にいる、ということを示したい。娘は日本に行くなら空港で縋り付いてでもママを止めると泣きじゃくっているけれど、私は行きます。私が今、あなた方のためにできることはそれしかない。できることなら、地震と津波の被害に遭われた方々の元に慰問に行ってヴォランティアで歌いたい。辛い思いをしている人たちを慰められなくて、なんのための歌手なのでしょう」と書かれていた。私は今度は「現時点では外国人が東北で演奏会をするというのは受け入れる側の準備ができないし、かえって現地の人たちの迷惑になるからそれは諦めて」と慌てふためいて彼女を止めることになった。

後日談になるが、この来日公演で彼女は当初、ヴェルディの《ドン・カルロ》のエリザベッタを歌う予定で、本人もそのつもりで日本行きの飛行機に乗った。
日本に到着したところ、METのゲルブ総裁が空港で彼女を待っていた。彼とともに迎えの車の座席におさまると、ゲルブ氏が口を開いてこう言ったのだという。「バルバラ、頼みがあるんだ。実は《ラ・ボエーム》のミミで来日予定だったソプラノが今になってキャンセルして来た。悪いが、君がミミに回ってくれないだろうか」。普通であれば、ありえないオファーである。彼女自身も「それを聞いたときは驚いて、車から転げ落ちそうになった」とのちに語ってくれた。実際、こんな失礼な話はない。その場で「No」と言ってヨーロッパ行きの飛行機に飛び乗って帰ってもなんら不思議のない扱いだ。だが彼女はそれを承諾した。なぜなら彼女は、「傷ついた日本の人たちのために」と来日を決めたからだ。本番までの数日で、彼女はミミをさらい直し、指揮者との稽古や舞台での打ち合わせをこなし、本番でそれは優しく、温かいミミを聴かせてくれた。エリザベッタにはポプラフスカヤが急遽呼ばれ、彼女の代役を無事果たした。

自分が逆の立場で、あの時期の日本に行っただろうかと考えれば、キャンセルした歌手たちを責めることはできない。あのとき来日してくれた歌手や指揮者、仲間が行かないと聞いても来てくれた合唱団、オーケストラのメンバー、劇場スタッフたちは、あの頃日本にいた我々よりもずっと情報を得ていて、危険性も承知していた。彼らはその中で自ら決断して、来日してくれたのである。私は今も彼らのその勇気ある決断に感謝している。

バルバラが、歌劇場の来日公演で出演しているオペラの批評当番になることがある。それを伝えると彼女はこう言う。「ノリコ。友達だからといって遠慮はいらない。私もプロ、あなたもプロ。本当のことを構わず書いて。」
今回もこのブログにあなたのことを書きたいが構わないか、と尋ねたときも彼女からはこう返事があった。
「もちろん、構わないわよ。なんでも心置きなく、好きなように書いてちょうだい!」
……彼女の爪の垢でも煎じて呑みたい。私は事あるごとにそう思うのである。(河野典子)


バルバラ・フリットリBarbara Frittoli

テバルディ、リッチャレッリらの流れを汲む、イタリアの伝統的な柔らかく、かつ厚みのある声を持つソプラノ・リリコ。モーツァルト、ベルカント・オペラからヴェルディ、プッチーニ、最近では《道化師》のネッダや《アドリアーナ・ルクヴルール》のタイトル・ロールなどヴェリズモ・オペラも手掛ける。今年6月にもバーリ・ペトゥルッツェッリ歌劇場の日本公演で《イル・トロヴァトーレ》のレオノーラを歌うことが予定されている。

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

Novita’!
オペラブログを執筆されている河野典子さんの講演会が2月17日(土)、文京シビックセンターにて開催されます。テーマは「《ラ・トラヴィアータ》はなぜ世界中で愛されるのか」。日本ヴェルディ協会理事も務められる河野さんによる、ヴェルディについての専門的なお話が聞けるまたとない機会です。参加方法等詳細は下記URLよりご覧ください。
日本ヴェルディ協会HP

〈過去のブログ〉
オペラの世界6~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)
オペラの世界5~「ベルカント」とは何でしょうか≪2≫~
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

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